2012年9月5日水曜日

元Jリーガーから弁護士に転身 八十祐治さん

Jリーガーの第二の人生は、サッカーのコーチ業かと思っていましたが、普通のサラリーマンになる人もいるんですね。
でもこの方はふつうの仕事に意味を見いだせず、1日12時間の猛勉強によって司法試験を突破してしまう。
天は二物を与えるんですね。
普通、1日12時間勉強することは不可能ですよ。
司法試験になかなか合格できない人にも勇気を与える記事ですよね。
元Jリーガー弁護士として、新しい地位を確立してもらいたいですね。


元Jリーガーから弁護士に転身 八十祐治さん(産経新聞 9月3日)

 【新・関西笑談】Jリーガーから法律家へ

 ■司法試験合格目指し一念発起 家族抱えながら勉強続けました。

 サッカー少年たちの憧れであるJリーガーから、法律のプロとして法廷に立つ弁護士へ-。ガンバ大阪などで選手としてプレーした八十祐治さんは、引退後のサラリーマン生活に飽きたらず、司法試験に挑戦。持ち前の情熱を発揮して猛勉強し、難関を突破した。今月で弁護士として丸5年となる。穏やかな語り口の奥に秘めた芯の強さを感じさせる八十さん。夢中でボールを追いかけた少年時代から、華やかなJリーグのピッチ、苦労した司法試験まで、異色の経歴の陰にある努力の日々とは。(聞き手 前田武)

 --なぜ、弁護士になろうと思ったのですか

 八十 子供のころからサッカーばかりやってきて、引退した時は31歳。それからサラリーマンとして営業の仕事をしていたのですが、それまでサッカーに向けていたような情熱が、どうしても出てこない。そこで、何か次の目標に挑戦しようと考えたんです。

 --しかし、司法試験といえば最難関です

 八十 生活のためにサラリーマンになりましたが、仕事は正直言って単調なものでした。「定年まで30年、このままなのだろうか」と思い、悶々としていて…。そんな時、仕事で弁護士に相談することがあり、専門家としての技能を駆使して問題を解決するというプロの仕事に魅力を感じました。サッカー選手も、自らの能力をフル活用して目標を目指すという点では同じ。それに、どうせ資格を取るのなら一番高いところに挑戦しよう、という気持ちもありました。

 --それで一念発起して法律の勉強を始めた

 八十 大学は経営学部だったし、ゼロからのスタートでした。当初は、ずっとサッカーで努力してきたという自負もあり、「その情熱を司法試験に向ければ突破できるはずだ」という、今にして思えば根拠のない自信を持っていたんですよ。当時は東京で暮らしており、仕事を続けながら司法試験のための予備校に通い始めました。

 --仕事と勉強の両立は大変だったでしょう

 八十 昼間は普通に仕事をして、夕方からの予備校が週3回。帰宅してから午前3時まで勉強していました。でも、最初の2年間は、どんどん新しいことを学んでいくのが楽しかった。経験のために受けた1年目の受験は当然不合格。2年目もだめだったので、このままでは受からないと思って仕事を辞め、大阪へ戻って勉強に専念することにしたんです。

 --当時すでに家族を抱えていた身として、すごい決断ですね

 八十 仕事を辞めてしまうと、社会とのつながりが何もなくなって、精神的にきつかった。このままずっと受からないんじゃないか、家族はどうなってしまうのか、というプレッシャーや恐怖感との戦いでした。それからの2年間は毎日12時間、勉強しました。

 --合格した時の気持ちを聞かせてください

 八十 3年目の受験では、択一試験は受かりましたが、論文でアウト。結局、4年目で何とか突破できました。合格発表を見たときは、ガッツポーズが出ることもなく、ホッとして全身の力が抜けていったのを覚えています。

 【プロフィル】八十祐治(やそ・ゆうじ) 昭和44年10月、大阪府高槻市生まれ。府立茨木高校、神戸大のサッカー部で主将。同大経営学部を卒業後、Jリーグ発足の平成5年から2年間、ガンバ大阪でMFとしてプレーした。ヴィッセル神戸や横河電機などを経て12年に現役を引退。その後、司法試験の勉強を始め、4回目の挑戦となる17年に合格した。現在は大阪弁護士会に所属し、大阪市北区の摂津総合法律事務所で勤務。同会のサッカー部にも参加している。家族は妻と1男1女。42歳。