2010年2月25日木曜日

明日、法曹人口問題シンポジウム

適正人数を話し合った結果、法科大学院を設置して司法試験の合格者数を増やすことにしたんじゃないの!?
本当に今更なシンポジウムなんですけど。
にしても、しないよりはましか。
働き場のない弁護士の実態を見せられるといいんですけど。

法曹人口問題シンポジウム:弁護士適正人数を議論 熊本市で26日 /熊本(2月23日 毎日新聞)

 弁護士の役割と適正な人数について話し合う法曹人口問題シンポジウムが26日午後3時から、熊本市大江の市立図書館ホールである。司法試験合格者が増える一方で、弁護士の働き場所がないという問題も起きており、弁護士や国会議員、大学教授らが議論する。

 日本弁護士連合会、九州弁護士会連合会、県弁護士会の共催。政府は02年、当時年間1000人程度だった司法試験合格者数を10年度には3000 人に増やす方針を閣議決定した。06年から始まった新司法試験の合格者数は08年2065人、09年2043人。裁判所・検察庁に入る人数は少ない一方で 弁護士数は増えているという。

 シンポでは日弁連法曹人口問題検討会議の菊地裕太郎事務局長が基調報告し、弁護士資格を持つ松野信夫参院議員や、熊本大法科大学院の松原弘信教 授、県弁護士会の鹿瀬島正剛弁護士らが地方弁護士会の抱える人口問題について議論する。申し込み不要。入場無料。問い合わせは県弁護士会096・325・ 0913。

2010年2月17日水曜日

法曹改革失敗か・・・

従来の司法試験と法学部ではいけなかったから法科大学院作って新司法試にしたんですよね?
そのいけないところは何だったのかしら?
ただ単に数を増やそうとしていただけなの?
数を増やしたら質を保てるわけはないのにね。
次はどんな風に改善していくのかなぁ。

法曹養成改革で作業部会=司法試験、法科大学院の実態踏まえ-法務・文科省(2月5日 時事ドットコム)

 法務、文部科学両省は5日、法曹人口を増やすために導入された新司法試験や、法科大学院が当初見込まれたほどの成果を上げていないとの指摘を踏まえ、法曹養成の改革について検討する合同作業部会を設置した。今年夏をめどに報告書をまとめる。
 作業部会は、法務省の加藤公一、文科省の鈴木寛両副大臣のほか、裁判所、検察、弁護士会、法科大学院の各代表者で構成。乱立気味の法科大学院の教育内容や、司法試験・修習の実態を詳しく検証した上で、具体的な改善策を打ち出す。

2010年2月8日月曜日

初の再投票-日弁連会長選

デットヒートしていますね。
日弁連の会長選は再投票となりました。
初だそうですよ。
それだけ真剣に考え、自分の信念と同じ人に投票をしているということでしょうか。
司法試験の合格者数だけでなく、司法全体に山積している問題にしてどの様に切り崩していくのかというところも注目ですね。

日弁連会長選、初の再投票に=法曹人口問題が争点-得票、規定に達せず(2月5日 時事通信)

 法曹人口問題が争点となった日弁連の次期会長選が5日投開票され、2人の候補者の得票が、日弁連の会則で定められた当選の条件を満たさず、後日、再投票が行われることになった。会長選での再投票は初めて。
 同じ条件で3月10日に行われる見通しの再投票でも当選者が確定しない場合、現会長の任期切れとなる4月までに、新会長が決まらない事態となる。
  候補者は宇都宮健児氏(63)=東京弁護士会=と日弁連の前副会長山本剛嗣氏(66)=同=。宇都宮氏は「司法試験合格者数を当面1500人程度に削減す べきだ」と主張。現執行部の流れをくむ山本氏は「法曹人口増員の理念は正しいが、必要があれば現状の合格者数にこだわらない」と、急激な削減に慎重な姿勢 を示していた。
 5日の仮集計で、山本氏は約9500票、宇都宮氏は約8500票を獲得。山本氏は東京や大阪などの都市部で票を伸ばしたが、宇都宮氏は地方票を獲得、全国52弁護士会のうち42会で得票が山本氏を上回った。
 会則によると、会長は弁護士による投票で選ばれ、当選するには、総投票数で最多票を獲得した上で、少なくとも3分の1以上に当たる18弁護士会で最多票を得る必要がある。
 再投票で当選者が決まらなければ、改めて候補者を募集して再選挙が行われるが、投票までに数カ月必要なため、4月までに新会長が決まる可能性がなくなる。この場合、現会長が引き続き職務を行う。 

2010年2月5日金曜日

大きな成功と小さな成功

ベストセラーとなっただから「あなたも生き抜いて」の著者の大平さん、一念発起して司法試験1発合格!!という快挙の裏にはどのようなことがあったのか・・・
「成功グセをつける」これは本当にいいことでしょうね。
何でもダメだ・・・って思ったら出来るものだってできなくなりますからね。
小さなことでも成功したことで自分をほめる事だってできますし、次への糧になりますから。
大物をしとめるためには小さいものは意味無いと切り捨てるのではなくて、それをしっかり捕えてエサにしていくということ、参考にしたいです。

大平光代的生き方(1)成功グセをつける(2月3日 yomiDr.)

大平光代は、なぜ行動変容に成功したのだろう。

 中学2年でいじめを受け、学校に行けなくなった。割腹自殺を図ったが、死ねなかった。非行に走り、母親を蹴飛ばしたこともあった。16歳で暴力団 組長の妻になった。背中には大きなイレズミも入っている。22歳で離婚して、大阪の北新地で売れっ子のホステスになった。そして、弁護士に転身した。波瀾 万丈の人生である。

 大平光代と2人で「くらべない生き方―人生で本当に大切にするべき10のこと―」(中央公論新社)という本を出版した。

 はじめて会ったとき、とても小柄で、控えめな女性に見えた。経歴からイメージするような激しさは、あまり感じられなかった。だが、話をしているうちに、わかった。彼女の強さには、ちゃんと仕掛けがあったのだ。

 まず、目標が明確だ。やりたいことをリストアップし、優先順位をつける。いちばんやりたいことに照準を絞る。そして、それを実現するために必要なものをそろえる。

 中学2年以降、学校に行っていない。学力をつけるために、彼女は同じ参考書を何度も何度も繰り返し読んだという。繰り返すことが、記憶を定着させ、思考を深める。持久力もつく。

 三日坊主にならなかったのは、なぜか。彼女には逃げ場がなかった。北新地の売れっ子の地位を守るために、たくさんのお酒を飲み、体調を崩した。このままではいけないという危機感が、強く試験勉強に向かわせた。

 彼女の努力はすごい。だが、無理はしていない。いきなり司法試験にチャレンジするほど、無鉄砲ではない。最初は、比較的合格しやすい試験からはじ めた。彼女のように、それまでの人生に成功体験が少ない人は特に、失敗に慣れっこになっている。失敗すると、どうせそんなものさと思い、いつかやる気を 失っていく。

 成功グセをつけていくことが大切だ。小さな成功体験でも、積み重ね、自分を評価していくことで自信につながる。そうやって彼女は宅建や司法書士の試験にも合格した。その延長線上に、司法試験の一発合格があった。

 もう一つ、大事なポイントがある。彼女が孤立無援ではなかったということだ。彼女には、サポーターがいた。養父となった大平のおっちゃんである。泥沼から這い出すきっかけをくれた。

 実は後からわかるのであるが、彼女の実の父親が、大平のおっちゃんに頭を下げていた。父親は末期のがんと闘っていた。大平のおっちゃんに、自分の娘として育ててほしいと、“遺言”を託した。ぎりぎりの状況におかれた人の、命がけの言葉が、大平のおっちゃんを動かした。

 その父親の思いを継いだ大平のおっちゃんが、大平光代をいつも見守っていてくれた。大きな意味での家族という存在が、彼女を支えたのだ。

 行動変容は決して奇跡なんかではない。起こるべくして起こる仕掛けがある。

 大平光代は、その仕掛けをうまく活用していた。このままではいけないという「危機感」をバネに、どうなりたいかという「明確な目的」に向けて、準 備をしている。いきなり、人生の一発逆転を狙っても、ホームランなんてそうそう打てるものじゃない。それよりも、着実に打てる球を選んで、自分のタイミン グで打つほうが、結局は、大きな目標に近づいていけるのだ。

 彼女の細心さは、行動変容をしようと思う人にとって大いに参考になる。