2009年10月15日木曜日

大平光代さんに聞く

「だから、あなたも生きぬいて」は多くの人に読まれたでしょう。
あたしも読みました。
本当の意味で死ぬ気になれば、何でもできるんだということを感じる事ができる本でした。
司法試験の合格率が低くなっているのは問題ですが、これほどまでに強い気持ちで司法試験に臨んでいるのかというとどうなんでしょうか?
気持ちの問題だけではないでしょうが、試験に取り組む姿勢っていうのも重要でしょうね。

◆【著者に聞きたい】大平光代さん『今日を生きる』(10月11日 産経新聞)

 ■苦しみ乗り切ってほしい

 少年事件を担当し、多くの家庭の実情を、弁護士としてみてきた。

 「母親が父親の悪口を言う家庭はどこも暗い。『お父さんのようになってはだめ』と言っても子供にとって父親は父親。『お父さんってすごいんだよ』と話せば、子供は真っ白な心で尊敬し、やがて母が言って聞かないことも、父が言うと耳を傾けるようになる」

 思春期の問題は、幼少から親をどう認識させてきたかの結果だと語る。

 いじめが辛くて、中学2年生のとき割腹自殺をはかった。極道の世界から立ち直ることを決意、猛勉強して29歳で司法試験に合格するまでを描いた『だから、あなたも生きぬいて』(平成12年)は200万部を超えたが、入手困難な書となりつつある。

 あれから9年。非行少年の更生に携わりながら出家を決めたころ、大阪市助役に。厚遇問題に取り組み退任した直後、先輩弁護士と結婚して1児をもうけた。ダウン症で生まれたはるちゃん。

 今は山間地で、はるちゃん中心の生活を送る。はるちゃんの可能性を「コンクリートの中ではなく温かい陽光を感じながら、五感を全部使ってのびのびと育てたい」。

 2階南側の窓際には、足を伸ばして座れる座いすが並ぶ。夫婦で読書したり、一緒にお絵かきしたり。窓の外は田んぼと山。そんな近況は『婦人公論』の連載 「陽だまりの時間」につづられている。連載にも本書にも子供と接する原点がある。「できるだけ抱きしめてあげて。子供は親から大切にされていると思えば芯 (しん)ができる。心が安定すれば、どんな状況になっても大丈夫」

 大切な家族の時間。

 「あの子が生まれて、一日一日を大切に暮らす中で、死んでいたらこの幸せはなかったと思う。だからどうか、苦しみに直面していても乗り切ってほしい。渦 中にいると死んだ方が楽だと思う。私もそうだった。でも苦しみは続かない。子育て中のお母さんにも、悩まなくてもいいですよ、大丈夫ですよと伝えた い」(中央公論新社・1365円)

2009年10月2日金曜日

司法試験浪人の姿・・・

この記事に出てきている東大浪人や司法試験浪人という人たちですが、今となっては少なくなってきているように感じます。
全体的に努力したら報われないと意味がないという雰囲気が多いですよね。
だから、自分の山は自分が7割8割の力を出して確実に登れるものを選んでいたり。
何がいい悪いではなく、考え方は人それぞれだってことで。

◆「自分の登るべき山」はどこにある!?――キャリア形成の考え方(9月30日 Business Media 誠)  

 私は時々気分転換で地元の公立図書館の学習室に行って仕事をするときがあります。社会人学習室は簡単なブース形式になっていて机や椅子の使い心地はいいし、空調もほどよいので平日でも利用者が多い。

 そんな中の常連に、いかにも「俺は年季の入った司法試験浪人だ!」といった風体の男性がいます。机の上には六法全書やら専門書やら参考書やらを何冊も積 み上げて、いつも大学ノートに何かを書き込んでいる(居眠りも多いが)。いつぞやははち巻きをして勉強に臨んでいました。歳格好からすると、すでに5浪や 6浪くらいはしていそうな貫禄(?)です。

 私が「浪人」で思い出すのは、予備校時代の「東大浪人」でしょうか。私も1年間予備校に通いましたが、そこには「東大以外は大学にあらず」として2浪3 浪中の先輩受験生が多くいました。私はその後、運よく慶応大学に入りましたが、驚いたのは、一応、慶応大学に入学しておき、籍だけ置いて、もう1年東大受 験に専念する幽霊学生がクラスに何人もいたことです。

 また、世の中には「ミュージシャンを目指しています」とか「人気芸人になりたいんです」ということで、定職に就かずアルバイトで食いつないでそのための活動をやり続ける人たちがたくさんいます。

 「司法試験合格」にしても「東大合格」にしても「ミュージシャンや人気芸人になる」にしても、(各自の抱く内面の動機=“何のために”という自問はともかくとして)これらは1つの夢であり、目指すべき1つの目標です。

 私はそうした夢や目標をもつことは極めて大事だと思っていますし(研修でもその重要性を言っています)、初志貫徹のために挑戦を続ける姿には敬意を表したいです。しかし、同時にそうした人たちに対し、以下に述べることも頭の中に併存させてほしいと願うのです。

 なぜなら上記のような人たちの中で、ある割合の人たちは夢を言いわけにして本当の実り多き人生を逃していたり、その目標に向かってただチャレンジしている風だけのことに満足してしまっているかもしれないからです。

●キャリア形成には2種類ある

 では、本論に入ります。

 まず指摘したいことは、キャリア形成には「意図的に作りにいくキャリア」と「結果的にできてしまうキャリア」の2種類があることです。

 前者は、「医者になろう」とか「宇宙飛行士になろう」とか、明確な目標を定めて、意図的に計画してステップを踏んでついにそれを獲得していくものです。

 後者は、医者になろうと思って医学の勉強をしていたが、薬学の研究のほうに興味がわいて、結果的に新薬の研究者になったとか、医者になったものの、文芸 の才能に目覚めて小説家になってしまったとか(例えば、北杜夫氏や渡辺淳一氏、マイケル・クライトン氏など)、必ずしも計画的ではなかったが、当初とは違 う選択が途中でひらめいて、もがいて奮闘して、振り返ってみたらその道で食っていた、そのようなタイプのものです。

 もちろんこの2つのタイプは、シロかクロかというものではなく、誰しもこの両者の混合でキャリアを作っていきます。ですから、状況に合わせてこの両者の取捨選択や、バランスをうまくとることが肝要なのです。

 「意図的に作りにいく」キャリアに固執した場合の欠点として、「俺はこれになるしかない!」といった絶対無二の目標を立ててしまうがゆえに、ほかの選択 肢が目に入らなくなり、自分の才能を限定してしまう恐れがある、または、いったんほかの道に進んで、そこから迂回して当初の目標にたどり着くという可能性 をなくしてしまう、などが考えられます。

 キャリア形成の途上、私たちの目前には、月々日々、年々、大小さまざまな分岐点が現れてきて、その都度、複数の選択肢に直面します。そして、あるものを選択して進んでいく。あるいは、意思や努力に反してある方向に転がってしまう。

 例えば、いま自分がA点にいて、D点という山の頂を「意図的につくりにいくキャリア」として目指しているとしましょう。B点までは何とかうまく来て、次にC点に上ってゴールに到達したかったのですが、そこで失敗をしてしまい、不本意ながらX点に落ちてしまいました。

 ここでモヤモヤ、ウジウジとD点という夢が捨てられなくてモラトリアム状態、夢を言いわけ状態にして、時間を浪費してしまうことは上に述べたとおり「意図的に作りにいくキャリア」の欠点になります。

 しかし、そこで頭の切り替えをして、自分の能力や価値観の再編成を行い、他の活路を見出そうともがくとどうなるか。

 ――その結果、Y点を経由して、Z点という当初とは違う山の頂に上り詰めることも可能になるのです(そしてZ点を経由して尾根伝いにD点に行けるチャンスも芽生えるかもしれません)。

 その時あなたは、遠くにD山を眺めながらこう思うでしょう。「Zという山もまんざらではない。むしろこの山こそ自分が求めていた山だ」「C点を目指した ときの失敗は自分には十分に意味があったのだ」「あの出来事は起こるべくして起こったに違いない」……。この想いに立てたときこそ、まさにあなたが偶発を 必然に転換し、「結果的にできてしまうキャリア」を最大限のものにした瞬間です。

●幸せなキャリア作りとは?

 キャリア作りにおける選択肢や出来事には、あらかじめの正解値はない。その後の行動で、それを結果的に「正しかった」と確信できる状況にできるかどうか――それこそが最重要の問題なのです。

 アメリカンフットボールの名コーチとして知られるルー・ホルツはこう言いました。「人生とは、10%の我が身に起こること。そして残り90%はそれにどう対応するかだ」

 もう1つ、画家パブロ・ピカソの言葉――「単なる出発点にすぎない着想を、それが僕の心に浮かんだとおりに定着できることはまれなのだ。仕事にとりかかるや否や、別のものがぼくの画筆の下から浮かびあがるのだ。……描こうとするものを知るには描きはじめねばならない」

 私はここで「絶対的な目標を立てるな、全ては柔軟的であれ」と言って、「意図的に作りにいくキャリア」の欠点だけを強調するつもりはありません。1つ決 めた道を何が何でもやり遂げるという生き方は素晴らしいものです。逆に「結果的にできてしまうキャリア」を偏って肯定すると、今度は漂流するキャリアとい う現象をまねく危険性が出てきます。

 私が本記事で主張したいことは、

・各自が「自分の登るべき山」を持つことは必須である
・しかし「自分の登るべき山」はそれ1つのみではないかもしれない
・キャリアをひらくためのもっとも重要な力は「状況を創出するたくましさ」である(計画する力は二の次のものである)
・状況を創出しようと奮闘する過程で見えてくる山が真の山であることが多い
・そう構えれば「自分の登るべき山」はそこかしこに無限に存在する
・そして死ぬ間際に「自分の登った山」(1つかもしれないし、複数かもしれない)を充実感を持って振り返る――それが「幸せのキャリア」(「成功のキャリア」ではない!)である

●とにかく「もがいてみろ!」

 最後に理解の補足・おさらいとして下図をみてください。
 →http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0909/30/news014_2.html

 あなたは、キャリアの途上で、当初目指したD山もZ山も登頂がかなわずに(それは意志・努力が足りなかったのか、運命のいたずらなのか分からないが)、P点に落ちてしまった(P点に退く形にしかならなかった)。あなたはともかく気落ちしています。

 さて、あなたはもうこの世に登るべき山など見出せないのでしょうか? これまで登頂できなかったD山やZ山を恨めしく思いながら生きていくのでしょうか? もう山なんぞこりごりだと言って適当に自分をごまかして過ごしていくのでしょうか?

 ……まぁ、そうすることもできるでしょう(そして、実際、そういう人は多い)。しかし、私が本記事で訴えたいことは、「もがいてみろ!」ということです。ともかくもがくことで、いったん、Q点のような少し見晴らしのきく場所に辿り着くことができる。

 そして、そこから、実はいろんな次の山が見えてくる。それはR1という山かもしれないし、R2かもしれない、R3かもしれない……、無限の種類のR山がありうる(P点に沈んでいた時には想像もつかないようなR山が)。

 結果的にR山を登ってしまった人にとっては、過去のP点の自分を悠然と振り返られる。逆に、P点でもがくことをせず、妥協の人生に流れた人は、ついぞR山の可能性が無限に広がっていたことに気づくこともなく生きていく。

 最後に、本記事のタイトル「『自分の登るべき山』はどこにある!?」に対する答え、それは「そこかしこに無限にある!」

●植村直己氏の言葉

 思い出した補足をもう1つだけ。私がかつて大学で講義をしたときに学生に伝えたことです。

 冒頭の「何がなんでも司法試験合格」「何がなんでも東大」のように、就職の際の会社選びにしても「何がなんでも三菱商事」とか「何がなんでも東京海上」 など世間の決めたランキングによって、ブランド品を欲しがるように就職先を志望する。その発想に揶揄(やゆ)と親心の助言を込めて、私は冒険家・植村直己 さんの次の言葉を紹介しました。

 「私は五大陸の最高峰に登ったけれど、高い山に登ったからすごいとか、厳しい岸壁を登攀したからえらい、という考え方にはなれない。山登りを優劣でみて はいけないと思う。要は、どんな小さなハイキング的な山であっても、登る人自身が登り終えた後も深く心に残る登山がほんとうだと思う」(植村直己『青春を 山に賭けて』より)

自民党新総裁「谷垣氏」

自民党の新しい総裁、谷垣さんについての記事です。
東大卒で弁護士資格を持っている谷垣さんの略歴をみると、こちらもちょっと変わってる‐‐;
大学に8年通い、10年も続けて司法試験にチャレンジなんて、並の忍耐力じゃないですね。
新しい国会はどの様になっていくのでしょうか。

◆自民の新しい顔、谷垣氏 経歴は「秀才」!? 体育会系総裁 VS.宇宙人(9月29日 産経新聞)

野党となった自民党の総裁選で300票を獲得し、28日、新総裁に選ばれた谷垣禎一氏(64)。党本部で開いた就任会見で「みんなでやろうぜ」と意気込ん だ。東大卒の世襲議員という経歴は鳩山由紀夫首相(62)と同じだが、資産のレベルが違う上、理系の鳩山首相に対し、「体育会系」。周囲からは「まじめで 堅実」とみられる谷垣氏が、「政界の宇宙人」の異名を持つ鳩山首相とどう渡り合うか、注目される。
                   ◇

 谷垣氏は就任会見で自らのPRポイントを聞かれ、「平凡な男ですから」と照れ笑いしたが、東大法学部卒業で、弁護士資格を持つエリートの印象が強い。

 しかし、谷垣氏の実弟で、秘書も務める信行さん(59)によると、谷垣氏は1浪して東大入学後に山登りに没頭。登山仲間と日本アルプスに年150日も山ごもりし、授業の単位を落とし続け、結局、8年間も大学に通った。

 「経歴だけみれば東大卒の弁護士でしょう。『秀才みたいだ』と親戚(しんせき)の間でよく笑いました」と信行さん。元文相の父、専一氏が生前、「禎一は同じ学部でも(法学部でなく)山岳部に入っちゃった」と苦笑いしたほどだという。

 司法試験も何度も落ちた。卒業後は皿洗いなどのバイトをしながら10年かけて弁護士になった。就任会見でも、長所は「我慢強い」、短所は「我慢しすぎる」と述べている。

 その1年後の昭和58年に専一氏が死去。「こういう稼業は世襲じゃない」という専一氏の言いつけ通り、後を継ぐつもりはなかったが、後援会に半ば強引に口説き落とされ、補欠選に出馬した。

 衆院議員になった後も「体を動かさないと体調が悪くなる」と自転車を趣味に。3日間かけて東京から長野を走破するなどトレーニングを積む。工学博士の鳩 山首相が「理系」なら、谷垣氏は「体育会系」(信行さん)。総裁就任会見でも「選挙が終わればノーサイド」「全員野球でいく」とスポーツマンらしい発言を 繰り返した。

 今回の総裁選では一部候補から世襲批判も受けたが、その資産は、預金が12億8千万円もあって東京屈指の高級住宅街、田園調布に豪邸を持つ鳩山首相とは 「比較にならない」(同)。安倍晋三氏、麻生太郎氏と競った平成18年の総裁選で、自宅を担保に1億円を借金し、「いまだに返済できていない」(同)とい う。