2011年1月14日金曜日

死刑廃止論者

よく加害者にも人権があるから、死刑はいらないって主張してる弁護士いるけど…岡村さんも被害者家族になる前はそうだったってことだよね?!
でも、妻を殺害されてみると死刑を望んだ。そして塀の内と外では全く違うって事にも気づいた。被害者の痛みに目が向いて無かったって…。
ってことは、死刑廃止論者だって身内が気づ付けば死刑を望む可能性だってあるってことだよ!?
どうなの~これ~??


◆犯罪被害者、苦しみまだ…岡村代表幹事が退任へ(1月13日読売新聞)

全国犯罪被害者の会(あすの会)で11年間代表幹事を務めてきた岡村勲弁護士(81)が、23日の大会で退任する。
 12日、東京・霞が関の司法記者クラブで岡村さんが記者会見して明らかにした。14年前に妻を殺害された岡村さんは、同会を設立して刑事裁判の被害者参加制度を実現させるなど、被害者の権利を大きく前進させた。「まだ多くの被害者が苦しみの中にある」とし、退任後も司法制度の改善に個人的に取り組んでいく決意を語った。
 「会としてほとんどの要望を実現できた。健康面の問題もあり、第一線で引っ張るのは終わりにしたい」。12日の会見で、岡村さんは時折声を詰まらせた。
 日本弁護士連合会の副会長を務めるなど、加害者側に尽くす「人権派」の弁護士だった。だが1997年、仕事に絡んで岡村さんを逆恨みした男に、妻の真苗さん(当時63歳)を刺殺された。岡村さんの留守に自宅で応対した結果だった。
 傍聴席から見た法廷は、柵の内側で知っていたものとは違っていた。被告が妻をおとしめる発言をしても問いただせず、公判記録も閲覧できない。死刑を望んだが、99年9月の1審判決は無期懲役(2審で確定)。「被害者の痛みに目が向いていなかった」と悔やんだ。
 2000年、あすの会を設立。家族を奪われた遺族ら5人で活動を始め、裁判参加などの法制化を国に求めた。法曹界の抵抗は激しかったが、03年に56万人分の署名を集め、04年12月、被害者参加制度の検討を促す犯罪被害者基本法が成立。「連日街頭に立った被害者と国民の声が政府を動かした。一番うれしかった」と振り返る。