2010年12月2日木曜日

決断力のある人

その時々で、自分の人生の大切な所で大きな決断できる人っているんだよねーー!!その決断力がある人が羨ましく思う!!こう言う人って自分の下した判断には後悔しなそうだし。実際、大友さんは後悔してないでしょ?!
これからも、多くの人が見たいと思うドラマを作って行って欲しいと思います。

◆時代を駆ける:大友啓史/7 弁護士志望からNHK(12月2日毎日新聞)
◇KEISHI OHTOMO 《大学入学当初は、弁護士志望だった》 1、2年生の間は、司法試験合格を目指して予備校に通っていました。難関ですから、少しでも近道をと考えたのです。田舎者のせいか、キャンパスの雰囲気は合わないし、授業を聞いていてもおもしろくない。何か地に足のついたことをしなければ、という気持ちもありました。 《法律を丸暗記する勉強法に嫌気がさし、予備校をやめてしまう》 受験勉強に取りかかって2年目。抽象的な条文にぶつかると、具体的にどういうことかと、疑問を抱くようになりました。もやもやを解消しようと読書をする。すると、暗記一辺倒の勉強が味気なくなってきて、司法試験向けの勉強はやめてしまいました。 3年生で選んだゼミは宇宙法。四角四面の法律と縁遠そうだし、女子学生が多かったからです。 《就職活動に入った89年。世の中はバブル景気に沸いていた》 会社訪問をしたのは50社ぐらい。業種を絞らず、手当たり次第です。大人の社会を見て回ることが楽しかったのです。実は本気で就職する気はなく、文学部へ学士入学し、その後は大学院へ進もうと考えていました。 マスコミ企業も何社か受け、内定をもらったのがNHK。もともとテレビとは無縁で、採用試験前にあわてて見たほど。だから、まさかの内定でした。大学院へ進める保証はないし、親のスネをかじり続けることにも負い目を感じ、就職することにしました。 《振り出しは秋田放送局ディレクター》 旅番組を手始めに、スポーツやのど自慢の中継など、なんでもやりました。初めて企画し、全国放送された番組のことは忘れられません。八郎潟町に1軒だけある理髪店のルポ。 ローカル枠のドラマを作ったこともあります。地元の人をキャストに、僕が脚本を書いた「見えない」。先輩から「放送枠をやるから好きにやってみろ」と言われたのがきっかけでした。 あのとき声をかけてくれた先輩は恩人です。この番組がきっかけで、東京でドラマ制作をすることになったのですから。============== 聞き手・岩崎信道/火~土曜日掲載です============== ■人物略歴 ◇おおとも・けいし NHK「龍馬伝」チーフディレクター。44歳(写真は95年放送のドラマ「家族旅行」ロケ先で。大友さん<前列右から2人目>提供)